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40代ロスジェネ世代が会社から「お前は要らない」と言われてからの逆転の発想~副業のススメ

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人口減少社会40歳代からの逆転方法は副業にあり

どうも「口を開けばカネの話」千日です。折しも内閣府が6月25日に公表した調査結果によると、正社員の2015年~17年の平均給与は、40代だけが5年前よりも減少していたそうですね。

今週のお題「2018年上半期」

内閣府は、この世代の給料が減少している理由は、管理職ポストに限りがあって、昇進が全体的に遅れていることが背景にあると分析しています。

 

今の40代は、私もそうですが、いわゆるバブル崩壊後の特に景気の悪かった超就職氷河期(1993年~2005年)に就活をして社会に出た、ロスジェネ世代(1970年~1982年生まれ)です。

 

また、人口分布では団塊世代に次ぐ第2のボリュームゾーンである団塊ジュニア世代(1971年~1974年生まれ)も含んでいますね。ロスジェネとはロスト・ジェネレーションの略で、つまり失われた世代ということですけど、ロストには「敗北」という意味もありますね。数が多い分だけ負ける人の数も多い。

 

こんな風に言うとイヤな奴だと思われるんでしょうけど、現に平均給与という物差しで敗色濃厚なのは事実であって、気安めを言ってもしょうがないです。

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同時に、世代間であいつらは勝ち組だとか、自分たちは負け組だとか言っててもしょうがないと思うんですよね。「もう詰んだ」と思ってるかもしれませんが、まだ詰んでませんよ。

 

40代ロスジェネの私たちが、これから生き残るためにどうしていけばいいのか?それについて書こうと思います。

 

私のブログを昔から読んでいる方はご存知だと思いますが、千日は数年前に早期退職を強く勧められました。端的に言えば「お前は要らない」と言われたわけです。のらりくらりと、その時は辞めずにいたのですが、基本的に要らないのだということは変わりませんでした。

 

そもそも私がブログを書き始めたきっかけは「自分は本当に要らないのか?」という問いを、身分や肩書きの通用しない世界で問うためだったのです。「要るよ」と言ってもらえている間は書き続けようと思っています。

 

では、始めましょうか。

昇進出来るかどうか?は「能力」では決まらない

先週、もと上司のNさんの定年退職の送別会に行ってきました。Nさんとは私が会計士になって間もないころ、数年間一緒に仕事をしましたが事務所長に昇進されてからは長いこと疎遠になっていました。

 

Nさんが会計士になったころは、日本という国全体が高度成長期にあり、問題や矛盾を含んでいるにせよ基本的にポジティブなムードがありました。そんな時に会計士人生をスタートさせ、事務所長にまで昇りつめ、部下に囲まれながら今一つの区切りを終えようとしている。

 

いわゆる勝ち組の中の勝ち組です。

 

私はそんなNさんに向かって、冗談めかして「私も出来るならば35年勤め上げたかったですよ」と言ってみました。そして返ってきた答えをシェアしたいと思います。

 

残ろうと思ったら、昇進し続けなアカン。

そいつを昇進させるかどうかは、好きか嫌いかだけや。

能力ちゃう能力なんか皆同じなんや。

 

停まったところ、そこが「アガリ」

肩を叩かれる理由は、同僚と比べて能力が足りないからだと、肩を落としているかもしれません。が、能力は根本的な理由では無いと思っています。停まったからです。

 

社会に出てからのキャリアパスは、当初の自分が思っていたのとは全然違う方向に伸びていくものです。入社してから今に至るまで、実にいろいろな場所で、立場で、仕事をしてきたでしょう。

 

そのうちどこかの時点で、自分や自分を取り巻く環境が動かなくなる、変化に乏しくなる時期がきます。それがキャリアの「アガリ」なのです。

 

誰しも等しく老いがやってきます。変化への適応力は下がり、伸びしろも減っていき「特定のポジションで特定の仕事をさせ続けるのが効率的だ」という状態です。

 

そういう状態までにどこまで昇進できるのか?というのが会社でのキャリアパスなのですね。この固まってしまう段階がどの年齢で来るのか?というのが昇進し続ける人と、そうでない人の差なのです。

 

そして、一度停まるとよっぽどのことが無い限りは再び動き出すことは無い。文字通り「アガリ」です。「アガリ」になるとそこから動かなくなりますから、次は後から来る人に場所を譲るよう圧力がかかるようになる。

 

つまりそれは「オマエはもう要らない」と言われているのと同じことなんです。言葉として言われなくても届くメッセージなのですよ。

 

胃袋以外にもエサをやらないと生きられない

これによって心を病んでしまう人もいます。ミッドライフクライシスという言葉を聞いたことがあるでしょうか。直訳すると「中年の危機」です。以下のような感情や行動となって顕在化すると言います。

 

  • 出社拒否などの職場不適応症、うつ病、アルコール依存症といった臨床的な問題
  • 空の巣症候群
  • 自己の限界の自覚
  • 達成する事の出来なかった物事への深い失望や後悔
  • より成功した同輩・同僚に対する屈辱感・劣等感
  • 自分はまだ若いと感じたい、また若さを取り戻したいという思い
  • 一人になりたい、もしくは気心の知れた者以外とは付き合いたくないという欲求
  • 性的に活発になろうとする、もしくは逆に全く不活発になる
  • 自身の経済的状況や社会的ステータス、健康状態に対する憂鬱、不満や怒り
  • 人生の前段階で犯した過ちを正す、または取り戻そうとする

中年の危機 - Wikipedia

 

なかなか自分で自分を判断することは難しいです。私と同時期に肩を叩かれた同僚の中には、一時期失踪してしまった人もいました。後日出てきました、良かった。

 

特に日本人は、他の国と比較して会社でのリストラや失業、破産などといった仕事上の挫折が自殺の原因となる傾向が強いという調査結果があるそうです。日本人に特有の「恥」の文化も無関係ではないでしょう。

 

この現代日本において、経済的な困窮が原因で野垂れ死ぬなんてありません。セイフティネットがありますから。生きる意思がある人は、どうにかすれば生きていけるようになっています。

 

なのに、仕事上の挫折くらいのことで、こんなにも辛い。そんなものの世話になるくらいなら死んだ方がマシだ。

 

私たちはもう、飯だけは生きていけない身体になっているんです。胃袋以外にもエサをやらなければ死んでしまうのです。

 

能力なんか皆同じ、好きか嫌いかだけ

結局のところ、人は人の能力を評価することはできないのです。

 

自分の先入観を排して、目に見えないその人のポテンシャルを把握し優劣をつけられる、なんて思っているとしたら、とんだ思い上がりなんですよね。人間にそんな『能力』は無い。

 

優劣を評価できないのであれば「皆同じだ」と言いきってしまって差し支えないです。こうした割り切った思考方法はノイズを消去して本質を浮き彫りにするのに役立ちます。

 

評価出来ないのに、どうやって優劣が決まっているのか?好き嫌いしかないでしょう。それを便宜上「能力」と呼んでいるだけだとNさんは言ってるんです。

 

肩を叩かれるのは、好かれていないから、それだけの理由なんです。だったら別に良いじゃんかと思います。だって好かれていない場合、自分もまた相手を大して好きでは無いことが多いからです。

 

自分が好きでもないのに、好きになってもらおうなんて、ムシの良すぎる話なんですよ。

 

それ(仕事が好きになる、会社に好かれること)が能力だと言われたら、そうなのかも知れません。でもそれはその人の潜在力(ポテンシャル)とは違うものですよね、その人の傾向(トレンド)です。

 

サラリーマンとして出来るヤツか出来ないヤツかの違いは傾向や方向性の違いだったのです。質量そのものにはほとんど差異は無い。あったとしても、敢えて問題にするような差異では無いのです。

 

カネの面で損はしますが、それ以上でもそれ以下でも無のですよ。なので『敗けた』などと卑屈になることは無いんです。Nさんのこの言葉を聞いて、少なくとも私はずいぶん救われた気がしました。

 

Don’t compare yourself with anyone in this world… if you do so, you are insulting yourself.

自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない…それは自分自身を侮辱する行為だ。

ビル・ゲイツ(1955~)

 

働き方改革の等価交換のしくみと副業のススメ

とは言っても現実には能力の傾向的な偏り、日本のサラリーマンという土俵によって割を食っている人が多いのは確かです。

 

ロスジェネ世代のわたし達は、同質的なマスに収まっていれば安泰だという教育を受けて来ました。枠から外れず真面目にやっていれば誰かが見てくれている。憲法のように明文化されている訳ではないけど、なんとなくそうした共通の認識があり、全てでは無いにしても概ねそのルールが適用されてきたという合意があったのです。

 

しかしそのルールが微妙な変化を見せ始めています。6月29日に働き方改革法案が参院本会議で可決、成立しました。表面的には過重労働に対する規制が目立ってますがその代わりに、会社が従業員の生活の保障をしなくなる、働いた分だけ給料を払うという流れにシフトしていくという事です。

 

そもそも長時間労働の根底には職務の範囲がはっきりしない「無限定型」という雇用慣行があったと言われてます。終身雇用を約束する代わりに職務の線引きをきちんと定めず新しい仕事を次々と任せていくので長時間労働を招きやすいのです。企業は働かせ放題ですが、終身雇用は不採算事業の整理の足かせになるという諸刃の剣でもあったのです。

 

働き方改革の本質は等価交換なのです。

  • 企業が従業員に対して課す労働時間を減らし拘束力も弱める。
その代わりに…
  • 企業が従業員に与えた長期雇用の保障を切り、給料も減らす。

 

無駄な残業から解放された分、新しい価値を自分から創れなければ収入は純減するのですよ。だから、働き方改革法案と同時進行で、国策としてサラリーマンの兼業・副業を促進する動きがあるのです

 

会社以外にも求められる場を作る

会社員としては「アガリ」かもしれませんが、人生100年と言われる時代、まだ人生アガるには早すぎるのです。すでに年金の支給開始が65歳となっており、今後は定年は70歳になるのでは?なんて言われてますけど、実態としては未だに55歳定年時代を引きずっているのが今です。

 

今後は高齢者雇用の拡大もされていくのでしょうが、今は過渡期です。会社を離れたところで稼ぐ力の無いロスジェネ世代は、まさにスッポリと置いて行かれようとしている。

 

40代だけが平均給料を減らしているのが、その証左ではないでしょうか。他の世代と比べて能力の質量的な差はない、でも能力を発揮できる場所を与えられない、ならば自分で作るしか無いのです。

 

将棋では81マスの盤の中で王将が詰めば投了するしかありません。しかし現実の世界は自分でマスを無限に拡大していくことが出来るのです。私たちは学校でそのやり方を教わってこなかっただけです。

 

逆転のカギは第3の選択肢=副業 

逆転のカギは副業だと、千日は思っています。従来、既存の職場からシフトする先は転職か独立しかありませんでした。今まで副業はむしろ禁止でしたからね。リスクとリターンの関係で比較すると以下のような感じになると思います。

 

  1. 転職高リスク低リターン。他の環境に移ることでより悪化する可能性がある。収入面ではキャリアに見合った水準以上は期待できない。
  2. 独立超高リスク高リターン。従業員から経営者へ大きなリスクを冒すことになる。成功すればケタ違いの収入を得られることもある。
  3. 副業低リスク低リターン。環境を変えることなく、今の収入プラスαを得る。

 

大きなリスクを冒すことなく、収入を増やす選択肢を得られるというのは今までにない大きな変化ではないでしょうか。今まで禁止されていた副業というものが国策で促進されるという分水嶺に今のロスジェネ世代は立っているのです。

 

私たちは自分で思っているよりも大きな分かれ道に居るのかもしれません。歴史というのはすべからく「その後そんなことが起こるとは、誰も夢にも思いませんでした」というプロローグで始まる物語なのです。

 

まとめ~副業では「好き」で「得意」の土俵で戦え

副業では、自分の好きなこと、得意なことで勝負してください。好きなことをやっているときに、最も人間は高いポテンシャルを発揮できるのですから。

 

これまで会社での仕事を評価されなかったとしたら、その理由は会社であまり好かれなかったからです。自分の方もそこまで好きではなかったのかもしれません。その世界で好かれ、愛されることを生存戦略とした方法です。

 

そして、もう一つは「得意なこと」です。得意なことを突き詰めていけば、ぜったいプロになれるってエロい人(id:keisolutions)も言ってました。

 

「好き」を追求するのは、才能があるかどうかの運否天賦が試されます。

しかし、「得意」を追求すれば間違いなくプロになれます。

 

カネをこよなく愛し、カネ勘定を得意とする千日が住宅ローンのプロになれたのは、自分の好きと得意を追求した結果ですのでこれにはハゲしく同意です。

 

とはいえ、ここまで書いたことは、あくまで私や私の周囲の人の身に起きた個人的な体験に基づく体験談に過ぎません。

 

これから副業としてブログを始めようとする人にとってどこまで参考になるか、またどこまで再現できるかは分かりません。

 

私の書いていることは、ほんのささやかなヒントにしかならない、淡いサインかもしれませんが、道しるべとして役に立ててもらえれば嬉しいです。

 

以上、千日のブログでした。

《あとがき》

私たちみんな同級生だ。

40代になってから、そんな感覚を持つようになってきました。だって誰しも昔は子どもで、日本のどこかの小学校に通っていて(帰国子女の人は知りませんが)誰かのクラスメイトだったんですから。

そうしてみると、世の中って学校のクラスみたいなものですよ。

私が小学生のときは、かけっこの速いヤツが偉かったです。能力の配分を足の速さに多く分配している者が、皆に好かれて大きな顔が出来ました。

そして現在は、いくぶん別の能力で時代に愛される者もいれば、どぶ板を踏む者もいる。ずいぶんと明暗がくっきり分かれてしまいましたが、それでも我々は同級生なのです。

個別にはそうではなくても、総体として同じクラスに居たんです。私はそう思って、手紙を書くようにこのブログを書いています。

2018年6月30日

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