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悪い口癖「何者にもなれなかった」と過去形で語るな

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何者かになる人と何者にもなれない人の根本的な違い

どうも千日です。最近わたしの周辺で「何者にもなれなかった」という話題がホットになりました。発端は私が読者登録しているフミコフミオさんの

「何ものにもなれなかった」と人生を振り返る中高年知人に対して「あなたは真剣に何かを目指したことあるのですか?」と詰問しました。

という行為が、思いのほか多くの人の琴線に触れてプチ炎上したことです。

これに対して、私も読者登録しているフジポンさんが、いつものナイーブな芸風で考察されていました。

僕自身、「何者にもなれなかった」中年男なので、これを読みながら、「自分が言われたら、きっついだろうな……」と思っていたのです。

フミコさんもフジポンさんも、私(昭和47年生まれ)と年齢的にわりと近いのでどっちの気持ちも分かるんです。 

しかしフミコさんはホワイト企業で年齢相応の管理職に就いており、フジポンさんに至ってはお医者様ですよね。

時給800円、交通費は出ない。メリットは週払いできることだ。

こんな浜田さんの立場からすると、何を寝言を言ってるんだという気になるでしょうね。それにしても、この短いフレーズにすごい才能を感じます。季語は無いけど俳句みたい。

では始めましょう。

何者かになる=ある分野で求められる存在であり続ける

千日が「何者かになる」というフレーズを聞くと思いだすのがダイエーの創始者である中内功氏の言葉です。

社長や部長といった『長』と呼ばれる人間になっても、そんなもんはどこにでもおる。石を投げたら大体『長』の名刺を持っとる奴に当たるもんや。

むしろ『者』の付く人間にならなあかん。

芸者、役者、経営者、学者、みんな誰でもなれるもんやない。芸者でも役者でも、お座敷や舞台にお呼びがかからんようになったら引退や。

経営者も一緒やで。身体張ってやってるから魅力的なんや。

つまり「何者かになる」というのは、ある分野でトップになることだけを言うのではなく、ある分野で「お呼びがかかる」=求められる存在であり続けるという意味で使っているのです。

  • 「長」=文字通りのトップです。
  • 「者」=これは何でしょうか?

今日のブログは「何者」とは何か?ということについての今時点の私の考えを書き留める備忘録です。

なぜ医者は「飛行機の中にお医者さんはいませんか」に手を挙げないのか?

飛行機で急病人が出て、キャビンアテンダントが同乗している医師がいないかを探す場面。ドラマや映画などでは見たことがありますが、実際にそうした場面に出会ったことはありません。

実際のお医者様の声として、リアルには手を挙げずらい状況があるようです。

飛行機で急病人『お医者様はいませんか?』

もし手をあげて急病人の治療に当たり、結果が思わしくなく訴えらえたら(中略)

医師は一人の客として乗っている時に突然仕事をするわけで、なにも契約のもと給料が出て治療に当たるわけではありません。しかも他にスタッフがいない中、極めて貧弱ないくつかのモニターだけで戦うわけです。この圧倒的に不利な状況であることを考えた上で、各航空会社はどう考えているのでしょうか。

なぜ医者は「飛行機の中にお医者さんはいませんか」に手を挙げないのか?医師の本音(中山祐次郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

確かに「訴えられたら…」とか考え始めると、手を挙げるのは躊躇するだろうなと思います。

しかし、もし自分が医師免許を持っていて「お医者様はおられませんか?」と問われて黙っていたら、自分で自分のことをどう思うか?ということを考えると、キツイものがあります。とは言え…

私は医師免許は持ってますけど、ご本人(意識なし)から「訴えない」という念書に加えて、それなりの医療設備が無いとやりません。

なんて医者が言ったら、喜劇のような悲劇ですよね。

つまり、こうした場で手を挙げられない人は、医師免許は持っているかもしれませんけど医「者」ではないのですよ。だって「お医者さまはおられませんか?」と言われて自ら出ていけないのですから、自分で自分に対して「医者ではない」という認定をしたということです。

少なくとも私はそう考えます「ああ、オレは医者ではなかった」と。

少なくとも私は手を挙げない可能性が高いと思いますので、今さらながらに医者を目指さなくて良かったなと思います。

フジポンさんはブログの中でご自身の「医者」という仕事について、このように言ってます。

なまじっか、「何者かになろうとして」医者になってしまったばかりに、「自分が何者でもなく、医療という大きな機械のなかの、いくらでも代わりがいる1個の歯車」でしかないことがつらくてしょうがない。

「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言

フジポンさんはおそらく私よりも年上なんですが、これを書いたときの年齢は今の私より年下なので、偉そうなことを言わせてもらいます。

いくらでも代わりがいる1個の歯車であっても、医療を必要としている人がいるときに「医者」として迷わず「医者」の仕事ができるのであればその人は紛れもない「医者」なのだから胸を張って良いのですよ。

逆に医者の世界で頂点を極めたとしても、飛行機で手を挙げられなければ、医師免許を持っていても医者ではないのです、「何者でもない」。

身体を張るその覚悟があるか?

だから、何者かになるのに必要なのは努力や運じゃないです、覚悟ですよ。私の中途半端な語彙能力ではこれくらいしか書けません。

中内氏は「身体張ってやってるから魅力的なんや」と言ってまして、これを私は「覚悟」と言い換えました。

三浦知良というサッカー選手をご存知でしょう「キングカズ」と言った方が分かりやすいかもしれません。1967年生まれの52歳、Jリーグの黄金時代を作ったスター選手で2019年2月の現在もプロフェッショナルリーグでプレーする世界最年長のプロサッカー選手です。

私は正直なところプロスポーツというものを素直に応援できない人間です。

だって、勝ったとか負けたとかやってますけど、冷静に考えてみてくださいよ。何億もの年俸を稼ぎ、世界の舞台でプレー出来ている時点で彼ら全員が勝ち組じゃないですか。

なんで彼らの100分の1も稼いでない自分が彼らを応援しなきゃいけなんですかね?逆に応援してくれよアホらしい。

私はそんな人間です。

キングカズにしたって、そんな風に見てましたが、この言葉を聞いて少し見方が変りました。確かこんな言葉だったと思います。

オレたちが何でカッコいいのか分かるか?

高い車に乗ってるからでもないし、良いスーツを着てるからでもない。

サッカー選手だからだよ。

オレたちが何でカッコいいのか分かるか?  サッカー選手だからだよ。三浦知良

そして彼はこの言葉を体現しました。同時代に活躍した多くの選手が引退してコメンテーターになったりタレントになったりしている中で、彼はプレイヤーであることにこだわり続けました。

今もです。

一生やるよ。自分からは辞めないと思う。

でも俺にも、どこもクラブが雇ってくれなくなる時が必ず来る。それが現役生活の終わりだと思ったらそうだろうけどサッカーはどんなところでもずっと続けられる。

プロじゃなくてもいいんだから。プロサッカープレイヤーでなく、“サッカープレイヤー”として。

サッカープレイヤーには言葉として「者」とはつきませんが、まぎれもなく「者」ですよね。

これは、努力などという生易しいものではない、もう一つ上の次元のものですが、私のつたない語彙力でこれを覚悟と呼んでいます。

年寄りの口癖「何者にもなれなかった」

「何者にもなれなかった」とか「そのころは何者でもなかった」とか年寄りが話しているのを聞くと私は少しざわざわした気持ちになります。

何者にもなれなかった=私に期待しないでね

これについてはフミコさんもフジポンさんも同じ結論になってますよね。同感です。

  • 期待に応えられる人間になれなかった。
  • 自分になど、お呼びはかからない。

つまりは、自分に期待してほしくないというメタメッセージなんです。

確かに期待してませんね。

と答えたくなるでしょう。処世術として「イヤイヤ期待してますよ!」とか「ワタシもそうですよ」という言い方があるってくらいですね。

やる気が無ければ黙っていればいいのでして、わざわざ「オレやる気ねーし」なんて宣言して若い人のやる気をそぐ必要は無いと思います。

あのころ自分は何者でもなかった←今は何者かになったつもりか?

これは典型的な年寄りの自慢話です。今は何者かになっている前提で語られる武勇伝は聞くに堪えないものです。

やめた方がよいと思います。

確かに自分が何者か?ということは先に挙げた医者の例のようにアイデンティティとして自分が自分に対して認定する側面があるのは確かです。

だから、自分から自分に対して言うのは良いと思います。

オレはよくやった!オレはオレを誉める!

自分で自分をほめる。これは私もよくやります。あとブログでもやります(これはちょっとちがうか汗)。

「何者か」は社会から求められているという前提が無いと成立しないです。自分が求められているかどうか?自分で知る由はないです。

自分から他の人を見てスゴイ!という場合は良いです。つまりこれは自分が社会の側だからです。自分から他人に対して使うのは良いと思います。

あの人は凄いよ!

まとめ~人生は自分が何者なのかを問う旅

なので「何者にもなれなかった」って過去形で語るのはオカシイんです。最初から「何者か」であって、自分がそれに気づくか?世間がそれに気づくか?というようなニュアンスの方が近いのかなと思います。

そして、それには覚悟が必要です。

自分で「私は〇〇者だ」と決めたところで、ですよ。中内氏の言葉で言えば「お声がかからなければ」続けることは難しくなるのです。キングカズは「一生やるよ」という言葉どおりに体現しているからレジェンドなのです。

必要なのは強烈な覚悟です。

実は私もフミコさんと同じような体験(でも180度違う)をしました。50代の元上司で監査法人のパートナーを辞めてベンチャー起業関連の何かを始めたいとカミングアウトを受けました。

具体的には何も決まってない。

でもな、もう辞めるって言うて来たんや、頭オカシイんちゃうかて言われたでアハハ!

50代で大手監査法人のパートナーならば、そのまま黙って10年も家と会社を往復すれば億単位の貯金を残せる身分です。

億のカネを棒に振るのですから「頭がおかしい」というのは的を得ているようにも思います。

しかし何者かとして生きる覚悟があるのならば、至極当然の結論だと思います。

何者かになる人は既に何者かですし「ヤメとけ」と言われてもやらずにはいられない人です。どうなるか?こればっかりは神のみぞ知るところですが、これだけは分かることがあります。

いずれにしても、元上司の口から「何者にもなれなかった」などという眠たいセリフは絶対に出てこないでしょう。

人生は自分が何者かを問う旅です。旅は少しくらいクレイジーな方が面白いのです。

以上、千日のブログでした。

《あとがき》

人生を旅に例えるコンテンツが多いので、本当に海外に旅に出て自分探しする人がいますけど、私はそういうことは推奨してません。

海外旅行すると帰国するでしょ?

人生の旅は帰ってくるということが無いです。進むだけです。私もだいぶ遠くまで来たなと思います。自分の目に映る景色もだいぶ変わりました。

今回は同じブログサービスを利用している3人のブロガーさんに言及しました。浜田さんはブログタイトル…どうかマジでそっちの『者』にはならない方向でおねがいします。

三者三様にめっちゃ面白いブログです!

2019年2月28日

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