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道徳教育は「価値観の押し付け」になるのか?

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日本の教育は価値観を押し付ける土壌がある

どうも千日です。クローズアップ現代というテレビ番組で取り上げられた道徳教育の現場が物議をかもしているらしいです。

道徳の「家族愛は無償」ということを教える授業で、「お母さんの家事労働にも対価を払うべきなのでは?」という意見を述べた男の子がクラスで笑われ、涙している。

だから、道徳なんて授業にすべきじゃないんだよと言う人が多いです。

「人と違う"優しい"意見」を述べた子どもが笑われるような、道徳教育なんて要らない!

どうなんでしょうかね。

「お母さんの家事労働に対価を払うべき」というのは、子どもとしては珍しいですが、最近のテレビやネットのフェミニストの大人がよく口にすることです。

これが「彼の価値観」ではなく実は「誰かが言ってたことの受け売り」だったらどうなんでしょう。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

この話が私の狭い観測範囲内ではありますが、熱くなってまして、私も何かいっちょ噛みたいナと思いまして、一つエントリーを書いておこうと思った次第です。

とりあえず、結論を考えず書いていきますので、まとまりは無くなるかもしれませんが、どうぞお付き合いください。

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教育とは死なない程度に「失敗」を経験させる場だと思う

このテレビ番組でクローズアップされた道徳教育の現場の難しさみたいなものは、それでよかったんじゃないの?と思うんですよ。

 

大人の世界で失言すると、それが「人と違う優しい意見」であっても強く非難されて、泣いて済む話じゃなくなってしまいます。

 

例えば麻生大臣が自分の部下(と自分)を守るために「F田の人権はどうでもいいんですか?」なんて言ったのは、まだセクハラが断定されたわけでもないF田さんに対してすごく優しい意見です。

 

大多数の人とは違いますけど。

 

そういうことを身に付けずに大きくなってしまって、多くの忖度を受ける立場になると、すごく困った大人になり、多大な迷惑と損失を社会に振りまくことになるんです。

 

親としては子どもが、社会性を身に着けて独り立ちできるようにと望んでいるんですから、こうした種類の失敗はむしろ有難いんです。

 

授業で空気を読まない発言をして、クラスメイトから笑われたというのは、別に道徳の授業だったからというのは関係ないんですよね。

 

そもそも人間が道徳的でないから道徳が必要

もう一つ、そもそも人間が本質的に道徳的じゃないんですよ。だから道徳が必要なんです。折しも、文科相が公用車で白昼に「セクシー個室ヨガ」なるものに通っていたらしいじゃないですか。

 

何やってんだ?文科相がそれじゃあ示しがつかんだろう。

 

と思うかもしれませんけど、そもそも、そういうもんですよ。多くを期待しすぎなんです。ジュニアの形、亀に例えられることがありますけど、あの形には理由があるんですよね。

 

自分よりも前にあった精液を掻き出しやすくする形状だそうです。ピタッと奥にくっついて奥にあった精液が上に行きます。そして傘みたいな部分の裏にたまって外に掻き出される。でもって、自分の精液は一番奥の部分に放出される。

 

さらに、こうした返しの部分があることで女性の方の快感もアガルんですよね。前の♂の精液を掻き出して今の♂の精液を注入するための動きが快感なのです。

 

おそらく、そういう人間だからこそ、一緒に生きていくためには、社会が必要であり、道徳が必要なんですよ。

 

答えはないことを知る授業

道徳の授業の題材をいくつかご紹介しましょう。

ある朝、たかしがお母さんに1枚の紙切れを渡しました。それは、せいきゅう書でした。たかしは、「お使い代」「お掃除代」「お留守番代」として、500円を請求したのです。

お昼どき、お母さんは500円と一緒に小さな紙切れを渡しました。お母さんからの請求書でした。「病気をしたときの看病代」「洋服や靴」そして「おもちゃ代」など、いずれも0円。

それを目にした、たかしの目には涙があふれました…。

 

これは冒頭でご紹介した「お母さんの家事にもお金をあげるべき」と言った男の子がクラスメイトから笑われた題材ですね。

もう一つ。

 

星野君は少年野球の選手。チャンスで打席が回ってきたとき、監督に呼ばれました。監督は、確実に1点を取るため送りバントを指示。しかし、星野君は得意なコースにボールがきたため、監督の指示を守らず打ちました。

結果は二塁打、勝利に貢献しました。

ところが、試合の後、星野君は監督の指示に従うというチームの約束事を守らなかったとして、とがめられたのです。

 

教育評論家の尾木直樹氏(尾木ママと言った方が分かりやすいかもです)は「先生によって力量差がかなり出てくる」と言ってます。

 

やっぱり1つのテーマを、価値を、1つの授業で、1つのお話からやってかなきゃいけないというところに、かなり無理があるように思います。

 

その通りだと思います。

 

過去は「修身」で軍国教育となっていた道徳の授業がハードとしてあるわけですよね。もともと子どもを相手とする授業と言うもの自体が、授けるということですから、単一の価値観へと収束していくのは自然なことです。

 

それが、押し付けとなるのか、導きとなるのか、とても線引きは難しいのです。

 

しかし、他の教科と違って「これが正しい」という正解は無いのだということが、子どもにとって等身大の、現実の身の回りの出来事の中にあることを教えるというのは意味があると思うんですよね。 

 

自分自身の善悪の判断が常に正しいとは限らない。

自分が良い人間だとは限らない。それは他人も同じだ。

 

価値観の押し付けは効かないのが人間ではないか

道徳が導入された一番の理由は、いじめ問題があるんですけど、子どもにとっては、自分がいじめの被害者にも加害者にもならないようにすることが重要なんですよね。

 

しかし、いじめ自体は無くならないんです。

 

予め教材に用意された価値観を押し付けるような授業になっていないか?という懸念というのは、確かにあって「価値観の押し付け」になると生徒には響かないんですよね。

 

それはつまり、いじめの加害者に対して「いじめはダメだ」という価値観を押し付けることに、失敗している現実があるからです。

 

そんなの、ダメってみんな分かっているようですが、現実に無くなっていないということは、根本でダメと思ってないからですよ。

 

つまり、「いじめ駄目だよ」ということを「道徳で教える」という方法ではいじめは無くならないということを、教育の現場の人が直観的に知ってるということです。

 

あるべき価値観を教える場であってはならない

なので、

  • 観念的なあるべき価値観を教える。

というよりは、もっと実践的なものが良いのではないかと思うんです。

 

今のこのクラスにも良いヤツも居れば悪いヤツも居る。社会に出ればもっと良いヤツもいるし、もっと悪いヤツも居る。なので、そんな中で自分が生き残っていくために、どうふるまっていけばいいのか?

 

自分より弱いと思ったらいじめるヤツっているんですよね。それはもうどうしようも無いんですよ。「それは間違ってる、いじめカッコ悪い」なんていくら言ったとことで、現に無くならないです。

 

ならば、いじめられないようにするにはどうすればいいのか?一番知りたいのはそういうことじゃないのかなと思うんです。

 

それでもいじめにあってしまったら、どうしたらいいのか?

 

まわりの友達も、担任の教師も、親も、助けてくれない場合はどうしたらいいのか?事実、いじめで悲しい結末となってしまう事件の中にはまわりの大人が助けにならないケースもあるんですよね。

 

最終的に答え(解決策)が無いことの教材は、道徳の教材というよりは学校生活や社会にあって、その答えが無いということについて、一緒に確認する。

 

だれもが違ってもいい。

多様な価値観を認めよう。

 

そういう価値観の押し付けよりは、意義のあるものになるんじゃないかと思います。だって世の中、そういう風には出来ていないですもん。

 

以上、千日のブログでした。

《あとがき》

今回の記事はあんまり普段書かない分野のことですよね。

私と同じブログサービスでブログを書いておられるid:nemurenai-sameさんが凄く憤っておられて…

そんなに、私の得意な分野ではないんですけど、道徳とかモラルという事に関しては最近のモリカケとか財務省とかっていうことで色々考えることが多かったので、なんか自分の考えたことを文字にしておこうと思った次第です。

しかし難しいですよね。

学校の先生ってもともと、普通の人よりも道徳について考えることが多いと思います。どっちかというと、人間の利己的な成分が少なめな気がするんです(個人の感想です)。基本的に良い人でないと続かない仕事だと思うからです。

かし、社会に出ると基本的に良い人ばかりではなくて、良い人の考えるあるべき価値観の押し付けになっちゃうと、ダメなんだろうなと思った次第です。

2018年4月25日

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