なぜ人を殺してはいけないか?と問われたら
どうも千日です。ちょっとアレな話ですよね。不愉快に思われる方はブラウザバックをお勧めします。
今日の晩ご飯は妻と回転寿司でした(本文と関係ありません)
『なぜ人を殺したらいけないの?』というのは大人の問いだと思います
この質問は、子供の問いかのように巧みにカモフラージュしていますが、事実大人の問いだと思います。ここで言う『大人』は、法律上の大人とイコールではありません。言葉を変えて言います。
- 子供の問い 答えが分かってない人の問い
- 大人の問い 答えが分かっている人の問い
法律家の回答
要約しますと『殺人は罪であるから罰を受ける。その罪は人の生きる権利を侵害したという罪である。』と言うものです。
また、やむを得ない例として『戦争』を挙げています。この辺りは法律家として聞かれている以上、そのようにしか答えられません。インタビューに応じた時点で負け試合です。同情はしません。
ヒトとしての回答
そら、人間が滅びるからやろ
法律を超えたヒトとしての視点からの回答です。
同じ視点からもう少し丁寧に説明が書かれた記事です。内田樹先生の見解を引用します。
答えることの出来ない問いには答えなくてよいのです。
その場でその中学生の首を締め上げて「はい、この状況でもう一度今の問いを私と唱和してください」とお願いする手もあります。
「人を殺してどうしていけないのか?」と問う中学生は「自分が殺される側におかれる可能性」を勘定に入れていません。
例えば、戦争は敵が自分(達)と同じ人間では無いという歪んだ認識の下、自分が殺らなければ、自分(達)が殺られるという危機的な状況下で行われる殺人なのだろうと思います。
自分に価値があるということ
二つの切り口、その中の様々な人の見方をご紹介しましたが、共通するのは『自分には価値がある』また『そんな自分を生かしている家族や社会(群れ)には価値がある』という認識です。
この認識が無い人には全てが無意味です
もしこんな人が居たら、首を締め上げられて『どうぞご自由に、でも痛くしないで下さい』とでも言うんでしょう。
そんな人はまずいません。居たとして、そんな人と対話が成立するでしょうか?私なら彼(彼女)は同じ人間では無いと考えるでしょう。
つまり、同じ人同士で、人を殺してはいけない理由を論じる意味はないのだと思います。見解に相違が生まれないのですから。
もし宇宙人が来て『なぜ地球人を殺してはいけないの?』と聞かれたら何て答えようか?と地球人同士で議論する図です。
それでも子供から問われたら
花壇のお花は持主の人が大事にしてる物だから折ってはいけないんだよ
普通はこれで済むんじゃないかと思います。子供は言葉遊びをしたいだけです。
しかし、これに納得しない場合は注意が必要です。誰からその話を聞いたのかをよく聞いた方がいいでしょう。
自分が殺らなければ、自分が殺られる危機的な状況に置かれている、自分に価値が無いと思うほど虐げられている友達から発せられているSOSかもしれません。
誰も管理してない山の中の、誰も見ないような花だったら持って帰ってもいいのか?
そんな人間はいないんです。
以上、千日のブログでした。
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