答えを得るための問い
どうも千日です。最近、ブログを続ける、続けないの話ではてなブログ界隈で盛り上がっているらしいですね。わたしはキホン蚊帳の外なんですけどちょっと書いてみようと思います。
色んな人が色んな事を書いてます。自己承認のため、カネのため…でも詰まるところ『無理して更新するんじゃなく、楽しく続けられるのが良い、ほっとけよ』というところが落としどころなのでしょう。
千日の場合は、表題にもありますが
答えを得るための問い
というのが私のブログを書く理由です。なんだそりゃ?と思われるでしょうね、では始めます。
望むような結果が出ない時に始めたブログ
千日のブログは会社でリストラ対象となった男が『わたしは要るのか要らないのか』と問いかけたことから始まったブログです。というのは後付けですけど、多分そうです。この千日のブログのプロフィールページにこんな文章を書いていますね。
完全なる匿名ブログとして、ネットに公表する文章だけでどれだけの価値を創れるか?それが千日のブログが目指す形です。
会社には問うまでもなく『要らない』と言われているわけです。そこは疑う余地が無く答えが出ている。特に日本は他国と比較して、破産や倒産など社会的な失敗の恥をさらすことから立ち直ることをめったに許容しない傾向にあります。
なので、それがそのまま自分の価値なのだ、という解答を出すわけには行かなかったのです。そこで、会社の評価基準とは別の仕組みで自分の価値を問い始めたのがこの千日のブログです。
わたしは『オマエは要るよ』というメッセージを得るためにこのブログを始めたのだと思います。ただ、素の自分を必要としてくれる?なんて思うほど青くはありませんので『要るよ』という答えが出てくるような、そんな記事を書くようにしていったのですね。
千日のブログを書くにあたって自らに課したルールが以下の3つです。
a.書いてて自分が楽しいこと(説教するのは楽しくないです)
b.記事の読み手にプラスの価値があること(存在意義だと思います)
c.アップする記事により人を傷付けないこと(大前提です)
つまり、こんな関数です。
- a+b+c=merit(その存在にメリットがある)
この3つのルールというのは、こういうものであれば、社会的にメリットがあるのだから必ず『要るよ』という答えを出してくれるでしょ?という問いかけだったんです。この関数が成立するならば、続けることが出来るのですよ。
かくして、千日のブログの問いかけに対し『要るよ』という答えが得られたので、今日があるということです。この関数で一般化するという手法は、数学ではどうして文字式なんて嫌いで難しいものを使うの - ちしきよく。の記事がヒントになりました。ありがとうございます。
おかげさまでこの千日のブログは2014年12月から2年8カ月続き、平均月間20万PVと多くの人に読まれる規模のブログに成長しました。特に検索では家の購入や住宅ローンについてのノウハウの記事が好評となりました。
価値をさらに増やすインターネットを利用した問いかけ
千日のブログでの成功に気をよくして始めたのがこちらです。
家の購入や住宅ローンについて、一般の人から相談を募り、回答をインターネットに公開して無料で誰でも見られるようにするサイトです。
- 一般の相談者が匿名でメールで専門家である千日に質問する。(1:1)
- 専門家である千日がサイトで相談内容と回答をインターネットに公表する。(1:∞)
- そのサイトにはアドセンス広告を掲載する。(∞:1)
インターネットって誰でも、無料で見れるようになっているんですよね。
1対1の価値の交換
相談者はメールで自分の相談を千日に送ることで記事のネタを提供します。それに対して千日が回答し、1対1の関係で価値の交換が行われます。FPが顧客に提供するコンサルはこの1対1の価値の交換です。
1対多の価値の分配
この相談と回答をインターネットに流します。これによって、同じような悩みを持っていた人が、そのノウハウを無料で入手できるようになります。完全に自分と同じケースでは無くても、十分に参考になります。
インターネットを利用することで、いつでも、どこでも、実際のコンサル事例を見ることが出来るようになったんです。これは1対多の価値の分配です。
多対1の価値の還流
これは慈善事業で行うのではありません。そのサイトにGoogleのアドセンス広告を掲載しています。Googleはアドセンス広告が表示される回数に比例した広告料をわたしに支払います。役に立つ情報であれば、検索上位になり、多くの人に読まれるでしょう。
これが回りまわって、通常の独立系のFPが手に入れる報酬位が私の手許に還流される仕組みになれば良いかなと思っています。
これが2つ目の私の問いかけ(関数)です。この問いかけが正解ならば続けることが出来るでしょう。これは現在進行形のものです。
インターネットの諸刃の刃
インターネットの可能性は想像よりも大きいです。個人の書いたブログであっても、マスコミや専門家のサイトにも十分に太刀打ち出来るフラットさがあります。私の考えた関数は、その可能性に賭けるものです。
しかし、同時にこれは人を傷つけたり、自分をも傷つける刃にもなりますよね。
特定の個人を名指しでやり玉に挙げるといった行為がそうです。例えば、ブログに無許可で画像などを使用することは「著作権を侵害している」のかもしれません。一方でインターネットを使って著作権を侵害した個人をやり玉に挙げる行為は法律では規制されていません。
ならば、
自分に直接利害が無くても、インターネットを使って辞めさせることが、正しいネットの使い方なのでしょうか。ネットの利点は距離や時間を超えて、価値をすばやく多くの人に届けられる点ですが、その他大勢を巻き込んで特定の者を攻撃する危険性も孕んでいますね。
モニターの先にいるのは生身の人間ですよ。法律には違反していなくても、道義に反することだと思います。
望む答えを得るために問い続ける
- 思うようにPVが伸びない。もうやめたい。
- 何となく書いた記事で炎上してしまって、もう書く気がしない。
問いが間違っていたのではないか?と思うのです。問いが間違っているならばそれを見直せば良いのです。わたしが会社をリストラされそうになったのは、会社での問いが間違っていたからです。というか、そもそも問いすら持っていなかったんでしょう。
望む答えを得るには、正しい問いが必要です。
インターネットにはびこるインチキな情報商材に騙される人を無くしたい。
とか
とにかく「はてなスター」をください。
とか、人によって求める答えは様々ですよね。色々あって良いと思います。しかし気にかかるのは、答えを急ぐ人が多いということです。
a+b+c=meritという関数の例を冒頭に出しました。特に特別なことは書いてませんが、当時の私が考えた関数です。
自分の考えた関数で出てきた答えが望んだものとは違った場合に「なんだそんなものか」「所詮、自分はここまでだった」と答えを出してしまうんですよね。
でもね、こうだと決めつけてしまったら、その先は無いのです。
すこし関数のパラメータを変えれば、望む答えに出会えるかもしれませんよ。望む答えを得るための問いを考えるのです。そういう時の関数は順序が変わるんですよね。
merit=?+?+?
最初に出した関数の順序というのは、「既に答えが出た問い」の順序です「こうしたから、こういう結果が得られた」ということですよね。学校で学ぶのはそういう関数です。
しかし実践とは、まず望む答えがあり、それに対する問いを探し続けることです。例えば科学者というのはまだ誰も知らない、「神のみぞ知る答え」を得られる「問い」を探す人達なのでしょうね。
それは神との対話です。
急にエセ宗教家みたいになりましたが、私がいろんな人のブログを読むときのスタンスは、その人が答えを求めて問いかけている様を傍から見ているような感覚です。スパっと答えを出してしまう人よりも、問いかけ続けている人のブログの方がむしろ面白いと思う性質なんです。
これでいいのかな?
私のブログは「答える」ブログですけど、私のモチベーションは「問う」ことにあるんだなと思った、今日この頃です。
以上、千日のブログでした。
《あとがき》
過去の記事を見直していて、驚いたのがこの記事です。まだブログを始めて半年くらいに書いた記事です。
まるで、今回の記事を書くことを予言していたかのような内容です。『答え』という言葉の使い方もほとんど同じです。ブログを書いていると本当に色んな発見があります。
今回ははてなブログが提供しているお題「自由研究」です。今の私は言ってみれば夏休みみたいなモノですし、だとするとブログや本の執筆は夏休みの自由研究ですよね。
昔から、夏休みの宿題は新学期の前日に一気にやる子どもでした。
だから何?
でもこの子の写真、可愛らしいので使いたかったんです。
2017年8月2日
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