社会に出たら先生はいないが師匠はいる
どうも千日です。社会に出て初めて出会う大人はその後の社会人としての価値観に大きな影響を与えます。
社会に出たら先生は居ませんが、ある意味で師匠のような人はいます。
私にもそんな人が居ました。F山さん、当時の上司です。この人から多くの事を学びました。しかし、大っぴらには人生の師と呼ぶことは出来ず、今どうしているのか知る術はありません。
しかし、大人になってからの師と呼べるのはF山さんをおいて他には居ません。
そんなF山さんについて、大っぴらに師と呼べず音信不通となっている理由と合わせて、この場を借りて語らせてください。
斜視で強面の10歳上の上司
F山さんは営業職として入社した私が付いた二人目の上司でした。当時の私はなかなか営業成績が上がらず、当初配属された大きな支店から一年も経たずに小さな支店に異動しました。
主に女性を相手にする営業だったのですが、そんな外見のハンデのあるF山さんは規格外の営業成績を上げていました。野球の打率に例えれば通常は3割もあれば強打者ですが、その中で9割を打つような感じです。
初めのF山さんに対する私の印象は強面な顔が『チョットこわい人』という感じでしたが、少し経つと私に『サル』というあだ名を付け、何かにつけて私の言動をいじり出し、私を呼ぶ時は『おいサル』になりました。
出来る上司だけどうっとおしいヤツ
それが当時、F山さんと私の関係性でした。
お前の話は嘘臭いんや本音で話せ
当時は良く飲みニケーションがありました。職場の仲間で何かと近くの居酒屋で飲むことが多かったです。飲みの席でも良くいじられましたね。
F山さん『おいサル、楽しいか?』
千日『まあソコソコ』
私はこんな生意気な新人でした。F山さんはよくこんな私にキレなかったと思いますね〜アハハ。そんな飲みの席で言われた事で一つ心に残っている事があります。
F山さん『おいサル、お前なんでお客さんと話す時、妙な猫なで声になるんや?』
千日『なってますか?』
F山さん『なってる。その猫なで声が嘘臭いんや、気持ち悪い。今オレと話してるみたいに普通に話せ。本音で喋ってないことは相手にすぐ伝わるんや。だからお前の話は嘘臭いんや』
千日『……そうスか』
生意気な私もこれにはグウの音も出ませんでした。営業成績が伸びないのはトークが上手くないからだと思ってましたからね。
言葉で上手く話すというのと、伝わるように話すというのは別なんです。
少しだけでしたが私の営業成績はマシになりました。程なくして、F山さんと私はそれぞれ違う支店に異動になり交流は無くなりました。
最後に見たF山さんの姿
一度だけ職場近くの駅で、奥様らしき井川遥似の美人とペアルックで!歩いているのを目撃した位ですね。
斜視の強面でズケズケ物を言うF山さんの奥様が超美人とは聞いてましたが、ここまで美人であったことにまず驚愕しました。
さらに20年近く前でも珍しかったペアルック!させられているのか、しているのかよくわかりませんでしたが、井川遥似の超美人と野獣がペアルックで歩く姿は今でも脳裏に刻み込まれています。
その後の不幸な出来事
その後、私は2年程働いた当時の会社を辞めました。やはり自分には営業職は向いてないと見切りを付けてある資格の勉強を始めたんです。
私は文字通り群れからはぐれたサルとなり、何年かは元の職場の仲間や同期との連絡を断ちました。
運良く合格して前の職場に合格の報告に行きました。後日可愛がってくれた先輩がお祝いの会を開いてくれたんですが、その時に聞いたその後のF山さんに降りかかった不幸は耳を疑うものでした。
子供の治療費の為に会社の売上を横領した
その後、F山さんと奥さんとの間に産まれた子供は生まれつき難病を患っていたそうです。
会社は、いわゆるブラック企業でした。当時の世間知らずな私は特に気にもしなかったですが…
- そもそも『残業』という概念がない
- なのに営業成績を幾ら上げたところで給料に反映しない
そんな会社でした。入社5年の主任クラスの先輩の給料と新入社員の私の給料が1万円も変わらないというのがネタでしたからね。
F山さん程の営業成績ならば少しは高給だったかもしれませんが、微々たる違いだったのではないかと思います。到底、難病の子供の治療費を支払えるレベルではなかったはずです。
F山さんがどんな保険に入っていたかは分かりません
いずれにしても幼い子供にかける人は少ないと思います。普通は一家の大黒柱が働けなくなった時を想定して世帯主にかけるのが一般的ですよね。
- 子供の為に父親として何が出来る?
- 家族の為に家長としてどうするべき?
家長であるF山さんが治療費が払えなければ、子供はあと数日も生きられないかもしれない。そういう状況下で下した選択だったんです。
私はF山さんの選択を『間違ってる』とは言えません
私はF山さんの選択を支持します。父親ならば、そうするべきだと思うからです。他に方法があったかもしれないなんて外野だから言えることです。
おそらく異論はあるでしょう、しかし撤回はしません。
F山さんが今どうしているか知る術はありません。また千日の立場上、その選択を実名で支持することは出来ません。
しかし、F山さんは紛れもなく私の人生の師です。
今も鮮明に思い出すのは美しい奥様とペアルックで歩くF山さんの穏やかな笑顔です。
以上、千日のブログでした。
昭和47年生まれの独白カテゴリー
お勧め記事
- 作者: 岩瀬大輔
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2011/05/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 8人 クリック: 692回
- この商品を含むブログ (59件) を見る