行ってきましたバベル展
どうも千日です。大阪中之島で始まったブリューゲルの『バベルの塔』展へ行って来ました。ブリューゲルの代表作で展示会のタイトルにもなっているバベルの塔はあまりにも有名ですね。
変キャラ「タラ夫」のシュルレアリスム
またブリューゲルと言えばその作品中に描かれる『変キャラ』も見どころですよ。アニメのキャラクターなどにも影響を与えたと言われてますね。ちょっと不気味だけど愛嬌がある、そんな「ゆるキャラ」の元祖みたいな存在です。
じっさい左下の魚を咥えた魚が展示会の公式キャラクターだそうです。その名も『タラ夫』…あの可愛らしいタラちゃんもブリューゲルの手にかかってナマの魚を咥えて闊歩するワイルドな進化を遂げました。
異形となった元我が子を取り戻さんと追い掛ける若妻サザエ。
その我が子が咥えているものは、なんと夫のマス夫が姿を変えたものだった!
必死に追い掛けるサザエであったが、ふと我に返って裸足だったことに気づき…
サザエさんの新解釈です、実にシュールです。
シュルレアリスムは日本語で「超現実主義」と訳されていることもあって、一般的には非現実や現実離れしたものを指して「シュールだ…」というような使い方をしますよね。
でも、本当は『意識外の』とか『無意識の』というのがむしろ正しい解釈に近いそうですよ。直訳すると意識外の現実というところでしょうか。
まさかサザエが、無意識にそんな黒い願望を隠し持っていたなんて…
マス夫も驚きを隠せないでしょう。しかし、無意識なのですから彼女自身も知らないことなのです。誰も彼女を責めることは出来ません。
バベルの塔展では、若妻の無意識下に隠された「自分でも知らなかった自分」そんな世界観が展示されているのだと人づてに聞いて、試しに妻を誘ってみることにしました。
アート鑑賞1年生 ブリューゲルのバベルの塔を予習!芸術初心者が国立国際美術館に行く前に知っておくべきこと | たねもーのアート録がそのキッカケとなったブログへのリンクです。
バベルの塔の視点移動の楽しさ
ブリューゲルが描いているのはバベルの塔の建設中の場面です。そこに描かれた雲や船との対比から如何に巨大なものだったかが分かります。
またこの絵自体は縦60センチ横74.5センチの、ちょっと大き目のポスターくらいの大きさなんですが、もう1つの見どころは細密描写の超絶技巧です。
「米粒くらいの大きさで人が描いてあるよ!」妻は眼ざとくそこに小さな人々が描かれていることに気付いて、目を見開きました。
赤い四角で囲った部分を拡大したのが下の写真です。
一説によると「バベルの塔」に描かれた人々は1400人だそうです。
ちょっと大きめのポスターくらいの大きさの絵に1400人!建築に使う牛や馬、作業員たちなどの建設現場の細部は実際の塔の建設に何が必要かを考え、1つ1つを想像だけで描き込んだものだそうです。バベルの塔は、聖書に登場する架空の建造物ですから。
それにしても凄い執念です。塔を描くより米粒ほどの大きさの人間を1人1人描きわけていく方が大変だと思いますよ。思うに、ブリューゲルはむしろ人間の方を描きたかったんじゃないでしょうかね。
聖書に登場するバベルの塔
聖書によると、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていました。しかし人々は天まで届く塔をつくって人間が各地に散るのを免れようと考えました。
神はこれを見てこう言いました。
人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう。
神ビーム!ピカー。
このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていった…
何と無く『神が怒ってドッカーン』というイメージで憶えてましたけど、そうじゃないんです。
人間同士『コイツ何言ってるか分からないや』で、途中でやめちゃって散り散りになってしまったんです。
バベルの塔に描かれた米粒大の人々は、そうなる前の人々なのでしょう。
バベルの塔を再び建てていく
言葉が通じているのに、相手の言ってる事が分からないというか、理解できない事はあります。そうなると人と人は一緒には居られなくなるものなんですよね。
こういうの、恋人や夫婦間でもある事です。
私の妻はたまに「しにたい」なんて口走ったりするんですね。でも現実にそうしなければならないような事は何も無いんです。
例えば生活に困窮してる訳でもないですし、身体は健康ですし、身内や友達に不幸も無いですし、至って普通の、いや最近はハワイへ旅行に行ったりして、むしろちょっと恵まれてるんじゃないの?と思う位です。
なのになぜ?何がそんなにストレスなのか?…こういうのって私には全く分からない感覚なんですよ。
これ以上生きていてもしょうがない気がする。
もう疲れた。
いやいやいやイヤ何言ってんのか、全然分からないんですけど。
高校生の時に読んだノルウェイの森でそんな話がありました、なんで自殺なんてするのか?今も1ミリも分からないです。でもなんでか感動しました。文学ってそういうものなんでしょうかね。
ブルータス(我が家にホームステイしている留学生♂20)も、たまにそんな気分になるって言ってたよ。
ブルータスお前もか…なんて上手い事言ってる場合か?2対1じゃん!まあ、彼は世渡り上手ですから妻に調子を合わせて言っただけ、という可能性もありますが。
今日の帰りの車の中でも、そんな話になりました。
「今でもたまに、しにたくなる」
うわー来たぞ…生きているのが嫌になるような、そんな不幸が我々の生活のどこにあるっていうの??
そんな時に思い出したんですよ。私は昔こんな記事を書いてました。
花壇のお花は持主の人が大事にしてる物だから折ってはいけないんだよ。
子どもから『なぜ人を殺したらいけないの?』と訊かれたら大人は何て答えればいいか - 千日のブログ 家と住宅ローンのはてな?に答える
これは子供に訊かれた場合のことを想定した言葉なんですけど、子供の頃に「自分が親から愛され、大事にされている」という実感を得られた人には当たり前の事なんですよね。
しかし、そうでは無い人もいるのです。
「常に自分にはできるという思考をもつ」にはどうしたらいいんですか?
小さな頃から否定され続けてきたんです。
それが習慣になってるんです。
一筋縄ではいきません。
「まずは自分を褒めてみる」にはどうしたらいいんですか?
いつ、どのタイミングで褒めてみればいいんですか?
自己否定の塊なんです。
褒めるところなんて見つかりゃしません。
「自分の欠点ばかり見つめない」ようにするにはどうしたらいいんですか?
癖になってるんです。
欠点ばかりを見る癖をどうやったらやめられるんですか?
こういうのをインナーチャイルドというんだ、という事を引用させて頂いたココッチィさんのブログで知りました。
妻は、恐らくですけど、ずーっとこうやって意識下でも、無意識下でも、自分を責めてきたのではないか?と思ったんですよね。
だとすると、これはかなり酷な心理状態です。
神さまこれは正解ですか?
とは言っても、私から妻にそんな話をしたところで、プライドの高い彼女が自分からカウンセリングを受けたり、自らセルフケアをしたりという事をするとは思えません。
ならば、彼女が子どもの時に教えられなかったことを、私が今から教えて行けば良いのではないか?とこう思ったんです。
つまり、
なんで分からないのか理解不能だと思っていた『花壇のお花を折ってはいけない理由』を根気よく言って聞かせ続けることなんです。今までは、なんでダメなの?というようなことを訊かれて、唖然としてしまったり『そりゃ当たり前でしょ』なんて答えをしていたんですよね。
「そういうことを言ってはダメなんだよ」
「なんでダメなの?」
「わたしが悲しいからね」
「うん」
わたしは運転しながらでしたから、助手席の彼女の表情は見えませんでしたが、こころなしか、ほわっと暖かいものが灯った気がしました。
神さまこれで合ってますかね?
以上、千日のブログでした。
《あとがき》
バベルの塔といえば、昭和世代には懐かしいのが「バビル2世」ですよね。オープニングの歌を今も覚えています。
砂の嵐に守ら〜れた〜♪
バビルの塔に住んでいる♪
超能力少年♪
バビル2世〜♪
子ども心にも、たった一人であんな殺風景なところに住んでて寂しく無いのかな?なんて思ってましたが、バビル2世には3人(3体?)のしもべがいるんです。
怪鳥ロプロス〜空を飛べ〜♪
ポセイドンは海を行け〜♪
ロデム変身!地をかけろ〜♪
でもねロプロスは巨大鳥型ロボット、ポセイドンは巨大人型ロボットです。乗り込むんじゃなくて首とか肩に乗って一方的に命令する感じです。
千日が好きだったのはロデムですね。コイツだけ等身大の黒豹の姿で、何にでも変身出来て人語を解し会話もこなします。作中では母親のことが恋しくて仕方の無いバビル少年の命令で母親に姿を変えて、イメージプレイしてあげたりしてました。
バビル様…いつまでもこんなことを続けていてはダメですよ。
ロデムがそう言って優しく諌めるシーンが印象的でしたね。あ、ちなみにロデムのキャラは渋めの中年男性です。
いやー懐かしい。
2017年7月21日
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