千日のブログ 家と住宅ローンのはてな?に答える

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経験せずとも童貞を卒業する方法はある

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童貞とは何か

どうも千日です。このブログでいう童貞とは、単に彼女いない歴=年齢という客観的事実を言うのではなく、女という存在の意味を根本的にハズしている状態を言います。

つまり、女性経験が乏しいとか、そういうことをいいたいわけではありません。

もしも、

童貞っぽくて気持ち悪い…

たとえ童貞でなくても、自分は女性からそんな風にみられていると感じているなら、そこから脱却するヒントになるかもしれません。

実は、童貞とは現代科学の進歩が生み出した現代社会のアダ花なんです。

科学の進歩によって、世界はすべて数学的に説明できるという風潮が一部にありますが、実はそのことは、童貞と密接に関係があるんですよ。

童貞の女学

童貞は基本的に二次元で女性を認識していますね。ここで言う二次元はアニメのヒロインのことではありません。

男にとって都合の良い面だけを見ている。という意味です。そして童貞はその面だけを対象としてどこまでも探求して行きます。

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  • 女についての文献
  • 記録写真
  • 記録映像

千日もまたそうでした。しかし、その対象はほぼ男にとって都合の良い面だけです。これが童貞の女学です。

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元々の動機としては、女と良好な関係を得る事であるにも拘らず、根本にある女性にとっての幸福や人間的な奥行きを無視しているんですね。

つまり童貞の女学は、女を対象としながら、女を無視し、童貞にとってのみ絶対的に客観的な世界を説明するものになり下がっているんです。

たとえば一昔前の医療が良い例です。

ある医師からみれば、病気の原因となっているものが根絶されることが医学的に正しいのですから、そこに患者の希望などを聞き入れる余地はありません。

末期ガン患者が、もはや完治を望みはしないから、せめて苦痛のない余生を送りたいと訴えたとしても、それは医療の敗北を意味することだ。と一部の医師は考えるかもしれません。

極端な例ではありますが、童貞の女学というのは、多かれ少なかれ、こうした「客観性」を追及するあまり、人間的な生というものをないがしろにしてしまう傾向があります。

これこそが、童貞です。(医師が童貞だと悲劇です。)

そもそもは女性とより良好な関係を持ちたいという動機から生まれたはずの女への探求心が、なぜ女を無視するようになってしまうのでしょうか?

 

童貞は女を数学化する

近代科学では、あらゆるものが数値化できるようになっています。長さや重さだけでなく、それは匂いや明るさといったものにまで及びますね。

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童貞はこうして、女というものはそもそも数学的法則に基づいてできあがっているものなのだ、という確信を持つようになります。

より正確な測定を、という欲望によって(現代の科学でも)絶対的な測定などは不可能であるにもかかわらず、童貞の探究心は、ニーハイの絶対領域は15センチというように女を数値化してしまうわけです。

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そうして、女それ自体は完璧な数学体系である、と考えてしまうわけです。

女が完璧な数学体系であるとするなら、数値化できないものは一段劣ったものだという見方が生まれることになります。

「性格美人」などの人間的価値は、こうして近代科学が隆盛をきわめて以降、ないがしろにされることになってしまったんですね。

 

童貞をどう克服するか

では私たちはこの童貞を、どのように乗り越えればよいのでしょうか?それを乗り越えることは出来ないのでしょうか?

ポイントは「本質」にあります。本質に目を向けるという事は意味世界に光を当てる事です。


わたしたちは、「事実世界」と「意味世界」の二つの世界を同時に生きています。

「事実世界」というのは、スマホのスクリーンが割れてるオンナはユルいとか、鼻がデカイとアレもでかいとか、二の腕の柔らかさとおっぱいの柔らかさはほぼ同じとかいった、文字通り「事実」の世界のことです。

この事実の世界のメカニズムを明らかにするのが、科学の仕事です。

その一方で、わたしたちは、世界を独自に意味づけ、味わいながら生きています。

たとえば、事実の世界において、恋は化学物質によって説明できるかもしれませんが、わたしたちは同時に、この恋の人間的な「意味」を味わいながら生きているのです。

 

童貞からの脱却は、この「意味世界」に目を向けることにこそあります。

わたしたちは時として、何のための女かというその本質を見失い、ただ目的を達する事にのみ心を奪われてしまうことがあります。

何もこれは童貞に限った話ではありません。


社会科学も同様です。教育学は、そもそも何のための教育かというその意味の本質を探究することを怠った結果「ゆとり」などという世代間差別やモンスターペアレンツを生みました。


経済学もまた、そもそも何のための経済学か、どのようなシステムなら良いといえるのかといったその本質を十分探究することなく、事実としての経済活動の分析に終始してきた感があります。

 

  • 恋人を作るよりも自分の時間が大事。
  • 結婚すると自由が無くなる。
  • 一人でだって生きて行ける。

事実として、そうなのでしょう。

でもね、果たしてそれに意味があるのでしょうか?

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以上、千日のブログでした。

《あとがき》

童貞について書いているようで、そんなには書いてないという。

いったい私は何を書きたかったんでしょうか?

2016年8月2日

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