私がものごころついた時にはすでに父親はおらず、母と娘二人暮らしだった
保育園ではなく、なぜ幼稚園だったのかは分からない。私はいつも一人で幼稚園へ通った。
他の子たちは皆お母さんと一緒に幼稚園へ来ていた。一人で来る子どもは私だけだったが、お母さんに来て欲しいとは言えなかった。
ある日、同じ組の男の子が一緒に帰ろうと言ってきた。名前は千日くんという、なんとなくソラマメみたいな薄口の顔をした男の子だった。
少し前に引っ越して来た子だ。確かいつもは、お母さんが自転車でむかえに来ていた。
私『お母さんは?』
千日くん『もうこないの、だからいっしょに帰ろう』
私『うん』
それから私達は毎日一緒に帰るようになった。
うれしかった。
帰り道に色んな話をしたはずだが殆ど記憶に残っていない。
しかし一つ記憶に残っていることがある。
なぜ彼のお母さんがむかえにこなくなったのか?私は不思議に思いその理由を聞いたのだ。
たしか彼は『朝おきたらすごく大きなうんこをもらしてしまった。お母さんはその洗濯に手が離せなくて来られなくなった』というようなことを言っていた。
幼児はうんこの話が大好きだ。
私は大笑いした。それを見ると彼は、それがどんな大きなうんこだったか、家族がどんなにビックリしたかを身振り手振りで面白おかしく話した。
私達は毎日私のアパートの前で別れた。彼の家はさらに国道を隔てた向こう側のマンションだった。そのマンションは震災の後取り壊され、今は新しいタワーマンションが建っている。
私は彼の家に行ったことがない。
私達は毎日のように一緒に帰ったが、それ以外の時間で一緒に遊ぶことはなかった。当時私達は既に、女の子は女の子同士で、男の子は男の子同士で遊んでいたからだ。
幼稚園でも遊びの時間やお昼ご飯の時間はそれぞれのお友達と遊んだ。そして帰る時間になると彼が『一緒に帰ろう』と言ってやって来る。
そんな関係だった。
引っ越し
私が幼稚園を卒園して小学校に上がるときには、お母さんとおばあちゃんの家に引っ越すことに決まっていた。
私は彼にそのことを言うことができなかった。
それから彼には会っていない
それが心残りです。
以上、千日のブログでした。
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