ヤミ米から現在の減反政策までの農協の歩み
どうも千日です。前回の続きです。
前回のブログでは農協改革で解体の決まった全中(全国農業協同組合中央会)の表の顔A面のメリットと裏の顔B面のメリットについて書きました。
農協改革での全中解体の背景にはそのB面の自民党にとってのメリット(組織票と政策支援)が無くなったことを挙げました。
それもありますが、千日の考えは『根本的にはそのA面である農家の地位向上や経済力の向上という仕事を全うできていなかったから』というものです。
今日のランチは大阪市中央区道修町(どしょうまち)の博多もつ鍋 やまや大阪北浜店 博多もつ鍋やまや|株式会社食工房の日替り定食1,000円です。日本的ですね〜(今日のメインは塩さばでした)
ちょっとお高めですが、写真の左上に写っている高菜と辛子明太子が食べ放題(ご飯もおかわりし放題)というのが値段に乗ってるからなんですね。
日本の主食である『銀シャリ』を味わうことの出来るとても日本的な食事です。とても人気があるようで、我々が行った11時半過ぎごろには半分以上のテーブルが埋まっており、出た頃の12時過ぎには外に列が出来ていました。
『イラチ』と言われるせっかちな大阪人を並ばせる程の人気です。ちなみに千日がランチの為に並ぶ、ということはまずありません。
日本人の主食は米。でも意外と全国民が銀シャリを腹一杯食べた時期は短い
戦前の農業技術での収穫高は同じ田んぼの面積で今の半分位だったそうです。また、道路や鉄道などのインフラも今ほど整備されていなかったので地域によっては米の流通にムラがあったといいます。
それに加えて、階級や階級から生じる貧富の差も大きく、白米をたらふく食べられるのは金持ちだけで、ほかの一般庶民にとって白米は『銀シャリ』(当時貨幣の単位は銀)憧れだったんですね。
そして日本は戦争に突入し、深刻な食糧不足の中、コメは配給制になって政府の管理下に置かれるようになりました。もちろんたらふく食べることなど出来ません。
戦後のヤミ米
戦後はさらに食糧難が進み、栄養失調による餓死者が増加します。『ほたるの墓』の舞台となった時代です。それでも配給制でした。コメは固定価格で政府が全量を買い取って、みんなに配るシステムです。
でもお金持ちは政府の固定価格より高い値段を払っても買います。農家も高く売りたいですからこっそり政府に売らずに、ヤミ業者に売るんです。そういうルートで市場に出回るコメをヤミ米といいます。
こういう市場原理は現代も意外と身近にあります。自販機の飲料は今130円ですがたまに100円の自販機がありますよね。賞味期限が近くなった飲料なんですが、コカ•コーラのルールで賞味期限が残り約3分の1になった飲料は必ずコカ•コーラに返品することという契約なんです。しかし、ヤミ業者がコカ•コーラの返品価格より高く買い取って、コカ•コーラと関係無い自販機で販売してるんです。気のせいかもしれませんが、このヤミ自販機、東京より大阪に多いように思います。
話を戻します
ヤミ米が横行すると、さらに配給に回るコメが減ります。コメ以外も全ての食料が不足していた時代です。
ヤミ米を食べるのを拒否した裁判官の山口良忠氏が餓死するという事件も起きました。配給米だけでは誰もが生きて行けない時代だったんです。
食の欧米化による米余りと減反政策
戦後のアメリカによる占領政策から小麦粉(メリケン粉)が大量に輸入され、学校給食は米ではなくパンとなりました。
戦後の食料難からの回復した頃には、すでに食の欧米化が進んでおり、国民は米を食べなくなってきたんです。
今度は米が余り出しました。市場の原理で余るほどあるモノは値段が下がります。政府が農家から買取る価格より、市場の価格が安くなってしまったんです。
いわゆる逆ザヤです。農家が米を作れば作るほど政府の赤字が膨らむ。これはしんどいです。また、余った米を置いておくのにも保管コストがかかるんです。そこで政府は農家が米を作らないような政策を打ち出し、全中はその旗振り役を担いました。
減反政策とは
稲から麦や大豆などの他の作物に変える(転作)ことを奨励し、その転作面積に応じて転作奨励金という補助金を支給するようになりました。
お金をあげるから米だけは作らないでね、違反したらペナルティだよ。
という制度です。いかにも歪んだ政策ですよね。そんな政策の旗振りをやってきたのが全中こと全国農業協同組合中央会なんです。
そもそも国が買い上げするのをやめればいいのに、という声が聞こえてきそうです。しかし、これは小規模農家を守る制度でもあったんです。
小規模農家は規模の経済性が取れないんで、米の相場が下がるとすぐに赤字になってしまいます。農家のキャッシュ•フロー(お金の流れ)は一年がかりの先払いです。一年間汗水垂らして働いて、赤字になってしまっては目も当てられませんよね。
価格競争に弱い小規模農家の延命の為でもあったんです。
また、これによって廃業しそうな農家を支え、日本の原風景である水田の風景が守られてきた面もあります。そういう風に見ればあながち悪いばかりの政策にも見えなくなってきます。
そして、そもそも我々が日本人のソウルフードとも言うべき米を、あんまり食べなくなった事にも原因があるんですよね。
その減反政策も2018年度に廃止することが決定
減反政策の廃止によって殆どの小規模農家は採算が採れず廃業するだろうと予想されています。加えて農協改革によって小規模農家を守ってきた全中の解体が決定しました。
長くなりましたので、続きは次回にしますね。次回は『なんで減反政策をやめるのか?』について書きたいと思います。
以上、千日のブログでした。
この記事は3回に渡る農協改革シリーズの2回目です
農協改革シリーズ①